「誰が悪いのでもない」萩原葉子著
札幌にいる母と連絡がとれ、汽車と船を乗り継いで札幌に向かう。
―私は胸が一杯で夢見心地のまま、駅の改札口に出ようとすると、初老の女の人が「ヨウコじゃない」と、言った。
その人の顔を見ると、たしかに見覚えがあった。
子供の時の記憶が甦った。
母の特徴の長いアゴが決め手となった。
あっと思った時だった。
「ハギワラと似ている嫌な顔の女ネ」と、言った。
そういう母であったが、「私」が夫と離婚すると、今度は母たち一家が上京したいと言い出し、借家捜しを頼まれる。
「誰が悪いのでもない」萩原葉子著
札幌にいる母と連絡がとれ、汽車と船を乗り継いで札幌に向かう。
―私は胸が一杯で夢見心地のまま、駅の改札口に出ようとすると、初老の女の人が「ヨウコじゃない」と、言った。
その人の顔を見ると、たしかに見覚えがあった。
子供の時の記憶が甦った。
母の特徴の長いアゴが決め手となった。
あっと思った時だった。
「ハギワラと似ている嫌な顔の女ネ」と、言った。
そういう母であったが、「私」が夫と離婚すると、今度は母たち一家が上京したいと言い出し、借家捜しを頼まれる。
「誰が悪いのでもない」萩原葉子著
母のイネはそういう生活に嫌気がさしてかダンスに熱中し、「坊チャン刈りの男の人」と仲好くなり、幼い姉妹を置いたまま父と離別して家を去った。
父の前橋の家での生活、そこでの小学校のこと、祖父の死などが、骨太いタッチの文章で語られています。
さらに祖父の死後、一家は東京の世田谷に住むようになったこと、頼みとする父の死、葉子の結婚と続く。
この本のヤマともいえるのは、しかし、なんといっても「二十五年目の母との再会」です。
取消可能信用状(RevocableCredit)とは、発行銀行が一定の制限のもとに、一方的に条件を変更し、あるいは信用状を取消すことができるものです。
取消不能信用状(lrrevocableCredit)とは、その信用状の変更または取消は当事者(現行信用状統一規則では、発行銀行、受益者、ならびに確認信用状の場合は確認銀行)の同意なしには行なえない信用状を指します。
★確認信用状と無確認信用状
確認信用状(ConfirmedCredit)とは、通常受益者所在地の有力銀行が、信用状の信用度を補強する目的でその信用状に基づいて振出された手形の引受、支払を確約している信用状を指し、この確約のない信用状を無確認信用状(UnconfirmedCredit)という。
fx信託保全も大切なので調べておこうと思います。
「誰が悪いのでもない」萩原葉子著
著者が萩原朔太郎の長女であることはよく知られています。
だが、本の題名にある明子とは朔太郎の次女であり、今でいう知恵遅れの生いたちであったことは知られていない。
これは著者自身と二歳年下の明子との長い姉妹関係を明暗を含めて初めて書いた自伝小説です。
萩原朔太郎は口語による近代詩の創始者として夙に有名です。
けれども生前の生活の経済は自立に至るまでが遅く、四十歳を過ぎても前橋で医者をしていた父からの仕送りで妻子との生活を維持していた。
「平安」小島信夫著
戦友会の「高橋元の報告」というのがこの小説なのです。
このように幾重ものレンズを通過して、現実のものとも非現実のものとも不分明にして現れてくるのが「槍風嶺守備隊が八路軍(共産軍の第八路軍団)の襲撃をうけてゼンメツしたこと」であり「レイテ島のこと、別の島(この中の人も相当死んではいます)のこと、たとえ本にしたとしても、一方において、そっとしときたいことも多々あります」というようなことだ。
こうして微かに語られると一層光芒を放つ具合になるのだ。
「平安」小島信夫著
連隊は、フィリピンのレイテ島で全滅に近い打撃を受けるまで戦ったのだが、そのことは直接には語られていない。
同じ岐阜県出身の熊谷守一の画を見た数日後、同画伯の出身地付知町のある人から偶然に手紙が来る。
その手紙から戦友の一人、高橋元氏というのが登場する。
戦友会には「私」は出席できませんでした。
「平安」小島信夫著
最後になって「以上は、東京の家での今年(昭和五十八年)秋の残暑きびしいある日の午後の、私の白昼夢である」と書かれています。
現実のものを解体して再構成する方法として、夢を採用した作品は今までの文学史上数多くある。
小島信夫氏のこの作品集におさめられた短篇は、いずれも夢のものとも現実のものとも決められない意味で、その系列に属するものだが、小島氏の方法は夢と現実の境界が全くない点で独得なものとなっています。
「戦友会」という作品も私には好ましかった。
岐阜市外にあった連隊の戦友会の話です。
「平安」小島信夫著
いずれは白昼夢が出てくることになるだろうと予感しつつ読んでいて、「伝記を書こうとしている」主人と、客の「私」が枕を並べて話している会話が、どうも現実ばなれしてくるのがおかしい。
亡くなった〈先生の奥さま〉からアメリカに届いた手紙を受けとる状況を話したりしているうちに、中国の戦地で手紙を受け取った時の状況、それを受けとった時の班長の話などが出てくる。
そして遂にはその〈奥さまからの手紙〉そのものが出てくるのだ。
すべてこれは伝記を書こうとしている主人の推測による再現なのです。
「平安」小島信夫著
この本には六つの短篇がおさめられています。
すなわち「白昼夢」「肖像」「戦友会」「マリフ」「予兆」「平安」の六篇です。
最初の「白昼夢」をみてみよう。
この題名が何ものかを予告しているのは明らかだ。
だが「今年の八月十五日に、私は、私の伝記を書こうとしていることになっている平光善久の家に泊った。
この日は、いわゆる終戦記念日に当るのだが」―こう始められてみると、これが夢物語の始まりでだうとは読者は一向に思いません。